乳がんより先にバセドウ病に罹患しているのですが、そのバセドウ病が2回目の寛解となりました!メルカゾールを中止してから11ヶ月、計3回だったかな(記憶があいまい)の血液検査を無事にクリアして晴れて卒業です。
※個人の体験になりますのでそれぞれの状況と異なることもあることをご了承くださいませ。
2回目の寛解
なぜ2回目かというと、バセドウ病は薬の量をコントロールしながら甲状腺ホルモン値が正常値になるのを目指すのですが寛解という言葉を使う通り完治はないのです。病気がおさまっている状態を寛解と言います。なのでこの先も再燃の可能性はあります。
1度目の寛解の際にちょうど転職をしたので、自宅から通いやすい病院へ転院しました。それから紹介状を持って1度だけ受診し、フォローアップのために1年後に受診する予定でしたがもうすぐ1年というところで体に異変があり自分で受診したことろ、再燃の兆候ありということで治療再開となりました。転院する際に一度寛解していたのでフォローアップは内科の先生でも良いよとのことで病院はこだわらず専門医がいるかどうかも確認しませんでした。なので、1年後に担当医になってくださった先生は腎臓専門の先生でした。
再燃から2年3ヶ月、2回目の寛解を迎えることができました。再燃の兆候の段階で治療開始したということもあるのでしょが、割と短い期間で寛解までもっていけたのではないかと思います。メルカゾールを休薬しての経過観察期間を経てこの度2回目の寛解となりました。
これで定期的な通院はひとつ減り、毎回血液検査の結果を待つ時間がなくなりましたが、がん罹患者からしてみると定期的な血液検査はちょっと見ていたかったなと思います(笑)最初はあんなに嫌だった注射針もバセドウ病に罹患して多い時で2週間に1回採血をしなければいけない状況になって、今では採血の様子を見られるようになりました。もちろん、やらなくて良いならやりたくないですけど。
サヨナラできなくて
抗がん剤をしたからかタモキシフェンを服用しているからか記憶力が衰えているので、病院から帰ってきて忘れないうちに次回の通院日を手帳に書こうとしたのです。
そしたら、なんとっ!!知らない先生の名前が書いてあるではないですかっ(゚д゚)!
えっと、記憶力が乏しい頭を使って少し思い出してみます。
先生「〇曜日じゃないとダメなんだっけ?ぼく4月から移動になって・・・」
うるー「何曜日ですか?いいですよ!」
先生「午前中が良い?」
うるー「できればー('ω')」
先生「じゃあ、できれば午前中って書いておくからね!」
うるー「はーい('ω')ノ」
めちゃめちゃ言われてる、ぼく移動って・・・!!
頭がまわっていませんでした。タモブレインめっ。むしろ先生の曜日が移動になるのだと解釈してましたよ。
卒業するって?言われたけど、心配なので最初のフォローアップは半年後に入れてもらったのですが次に会う先生は初めましてですわ。ところで先生はどこの病院に行くのだろう?大学病院ならついて行きたかったです。あ、でももともと専門が違うからダメか。
本当は再診は午後の予約しか取れないのですが、午前中でも良いよって言ってくれて乳がんになったときも治療中の不定愁訴的なことを聞いてくれた優しい先生でした。また、半年後のフォローアップも先生だと思ってたのでいつも通り普通に帰ってきてしまいました。きちんとありがとうが言えなかったので、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
まとめ
バセドウ病も上手く付き合っていく病気ですが、きちんと薬でコントロール出来るようになれば日常生活は問題なく過ごせます。初期で見つかればその分症状も比較的軽い状態で治療が始められます。今までの2回は運よく初期で見つかっていますが、バセドウ病の症状の暑がりや動悸・息切れなどは乳がんのタモキシフェンの副作用と一緒なので今後はより一層注意が必要だと思いました。
それから、バセドウ病と乳がんは関係ないと言われましたが乳がん罹患者でバセドウ病も罹患している人が多いと感じるのは気のせいでしょうか、それほどバセドウ病患者が多いのでしょうか。ん~、関係があればとっくにエビデンスがあるのでしょうが。
それより、タモキシフェンによる集中力・記憶力・判断力の低下をなんとかしなければです。